浄円寺文書

浄円寺文書とは、

浄円寺じょうえんじは青森県つがる市にある浄土宗の寺院。その開基は、法然の高弟である金光こんこうという僧です。

この金光上人という人物は、あまり知られてはいませんが、津軽地域に念佛を布教した人物で、法然が厚く信頼する弟子であったとされます。同寺には、この金光上人に関する文書が蔵されており、これを「浄円寺文書」と名付けて、その一部をここに紹介しています。

「浄円寺文書」には、断片状のものが多く、なかには「筆跡の判読」が困難なものも。そのため「欠けている部分」や「判読不明」の部分は□□などと表記しています。

目次

金光月影鈔1、断片資料1
「金光月影鈔1」は西光寺の尋西坊の執筆、金光上人の誕生時のエピソードなどを記述。「金光月影鈔」とは玄瑞という人物が応永元年(1394年)に作製したものが知られています。その後、さまざまな人によって再写されたようで、ここに掲載したものも、その一つです。
断片資料1-1は建保四年の金光上人の文書。
断片資料1-2 は「末法念仏独明抄」(金光上人の著書)の冒頭の一部と見られる断片。
断片資料1-3は 「金光上人絵物語」の断片。ある長者が赤子(幼児の金光)を得る話。一説に曰くの話。
断片資料1-4も「金光上人絵物語」の断片。當道及麻呂とうどうおいまろとは金光の養父。日輪丸とは金光に付けた幼名。
金光上人絵物語1~4
この「金光上人絵物語」とはかりの名称です。著者名や書名が残らず、詳細は不明。絵はあっても文字の記入が殆ど無いため、おそらくは未完成の写本です。元資料が何なのかも不明。知られている所では「金光録抄」(西光筆)、「金光上人一代之譜」(天帰筆)、「施主堂縁起」(良律筆)などがありますが、それらを再写したものなのか、あるいは別人による独自の絵巻なのかなど、不明です。
金光月影鈔2-3、断片資料2
「金光月影鈔2」は執筆は西仰坊となっています。ここに掲載したものは、その写しでしょう。「東日流」とは津軽の古名です(『津軽一統志附巻』による)。
「断片資料2」は「金光上人絵物語」の一部かもしれませんが、文字データが記載されているので、別人の筆のようです。
「金光月影鈔3」は忍世坊の執筆。途中に断裂があって、記述内容も断絶しています。
断片資料3、書簡
金光上人と法然上人の往復書簡です。両者の書簡は、これ以外にも知られており、「一枚起請文」の話題など、興味深い内容があります(開米智鎧かいまいちがい『金光上人』・昭和39年発行、P153~を参照)。
断片資料4
「石垣山観音寺住僧・僧都補・金光阿闍梨」とは、金光が法然に入門する前の肩書です。つまり、若い時の金光の随筆のたぐいのようです。それを応永元年に西光が再写したものです。ここに掲載したものはおそらく、更にその写しでしょう。